2020.04.03 07:19白菜の採種文化の保存活動 2020 spring 食文化創志科では、東日本大震災のあった2011年から、塩釜市浦戸諸島野々島で「白菜の採種文化の保存活動」に取り組んでいます。 日本で白菜が食べられるようになったのは、明治時代以降のこと。清の時代の中国からタネが渡ってきたことが始まりです。その後、大正期に入り、宮城県の研究者たちの大変な苦労があり、日本で初めて宮城県松島湾に浮かぶ島で白菜のタネの採種に成功しました。宮城県は白菜の大産地になり、日本全国へタネが出荷されました。宮城県は日本の白菜のふるさとだったのです。 東日本大震災があった2011年8月から震災で被災した浦戸諸島野々島で、白菜の採種文化の保存活動に取り組んでいます。今年で9回目の白菜の花、菜の花が咲きました。 毎年、9月には1学年生徒全...